ひとりあるき

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時間の有効活用なんてただの戯言

子どもへの押し付け教育がもたらす弊害

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最近の子どもは「習い事」に忙しい日々を送っています。
私が小学生の時は学校のクラブでサッカーをしたり、
地域の教室で剣道をする程度。
塾にも通った事は全くありません。
ですが最近の子ども達はどうでしょう?
 
果たして子どもに習い事は必要なのか。
今回は子どもの習い事について書いて行こうと思います。

子どもの習い事は押し付けなのか

文部科学省の調査だと、平日の場合7割以上の子どもが習い事をしています。

 

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中央教育審議会 生涯学習分科会 家庭・地域の教育力の向上に関する特別委員会(第8回)議事録・配付資料 「地域の教育力に関する実態調査」報告 2 4(1)子ども−文部科学省

先日、小学校のプログラミング授業の必修化について記事を書きましたが、

その文末で私はこう発言しました。

 主体的な授業。

 これこそがプログラミングを必修にする

 最大の利点なのだと私は思います。」

 

この「主体的」という部分ですが、

最近はニュースなどでも子どもの主体性を尊重する〜〜

などという意見が飛び交っています。

 

習い事の増加は果たしてこの「主体性」を尊重しているのでしょうか?

私は、これらは時代の流れに逆行しているのではないかと考えています。

(あくまでも個人的な意見ですので悪しからず。)

 

これからの時代の子どもたちに求められる事は、

「言われた事をただただする事」ではなく、

「自分で考えて行動する。想像して新たな考えを作り出す。」などが

必要になってくるのではないかと思います。

 

習い事にチャレンジするのは良い事です。

ですが、ただ親にやらされるだけの習い事なら別にやらなくても

なんら問題は無いと、私は思います。

「やらされ」は身に付かない

結局の所、どれだけ習い事へ行っても、
スキルは上がるかも知れませんが子どもの主体性は伸びません。
 
子どもが今後何かにぶつかった時、すぐ答えを聞いて来たらどうでしょう?
「失敗しても良いからやってみろ!」と思いませんか?
今、社会で起きている現象は、
 
挑戦しない子どもの増加。
 
何かにつけて親に「やらされて来た」子どもは、
与えられる事に慣れすぎて、自ら考える事をやめているのです。
更には、自らチャレンジする事に恐怖を覚える。
 
怒る親が増えているとよく言われますが、その通り。
「失敗したらどうしよう」と言う気持ちが無意識に先行してしまうのです。

「なんで?」は子ども追い詰める

子どもが何か失敗をした時などついつい言ってしまうこのセリフ。
 
「どうしてそんな事したの?」
 
これは親が子どもに何らかの大きな期待をしている時こそ強く現れます。
例えば塾に通っているのに宿題が進まない。
「塾に行ってるんだからこのくらいわかるでしょ?何でわからないの?」
子どもは必死に言い訳を考えます。
 
スイミングスクールに行っているのに一向に泳ぎが上手くならない。
「わざわざスイミングに行ってるのに、何で泳げないの?」
子どもは必死に言い訳を考えます。
 
とは言っても、言いたくなりますよね。
親から責められると、子どもは自分を「出来ない子」だと認識します。
 
だから余計に、親に認められようとする。
だから余計に、親の期待に応えようとする。
そして親の言いなりになっていく。
 
やりたくない事も、
苦手な事も、
辛い事だって何でもしようとする。
それが子どもなのです。
 
では、子どもが失敗をした時は、何て声をかけるのか。
簡単です。
 
「どうしたかったの?」
 
これです。
優しい口調で聞いてみて下さい。
 
素直な子どもはすぐに自分なりの意見を言ってくれます。
怒られ続けて来た子どもの場合、最初は戸惑うと思いますが、
そのうち自分の気持ちを打ち明けてくれるでしょう。
 
そして初めて、親子の信頼関係の構築が始まっていくのだと思います。